こんばんは、今回は貝泊写真館からブログアップです。
週末に使った機材を戻し、そのまま泊まり久しぶりにひとり晩酌です、気温が上がり始めた週明けですが里山も寒さを感じないですね、風が無かったのも初春を感じましたね。
2011年3月11日、東日本大震災が発生しました、想像を絶した津波による沿岸部の被害と原発事故による住民をはじめ関係者さんの混乱は14年経った今でも忘れることはできません、今後も3月11日に書く自分のブログ日記記事は震災後のいわき七浜を撮った写真をアップします。
勿論、撮っていた写真全てではありません、今年は人物を入れ込んだ写真です。
この写真は毎回見ていただいています、久ノ浜海岸に津波で流され打ち上げられた車です。
現在の建築技術や最新の技術、ハイテク車も自然災害には叶わないと当時思って撮った一枚でした、久ノ浜から勿来海岸に向けて移動を始めました。
写真は震災直後ではありません、本格的に不明者捜索、瓦礫の撤去が本格的に始まった震災発生10日後です、久ノ浜町にて・・・。
四倉町・・・道の駅よつくら周りで写真を撮っていました。
更に南下した薄磯集落です。
近県から派遣された警察、自衛隊の方達が不明者捜索、瓦礫撤去の作業の写真です。
左側で不明者が発見された現場です。
公的組織と合わせて住民さんによる片付けも始まっていたと思い出します。
個人が片付けを始めても回りは瓦礫ばかり・・・でも何かをしていないと心が壊れてしまう事を自分も感じていました・・・。
小名浜、目を疑うような車の横倒しや損壊はここに来るまでかなり見ています、この写真は日の丸の国旗が目を引きました。
津波に流されたコンテナの撤去をしている作業員。
小浜漁港、確認したところ千葉県警だったかな、転覆している漁船の下、漁港内を潜水しながら不明者の捜索をしていました。
陸、海上、潜水捜索作業が続いていました。
いわき七浜を北から南まで移動しました、最初の久ノ浜に打ち上げられた車同様に南で見たこの堤防階段が強く印象に残っています・・藤間海岸です。
2024年1月に能登半島地震が発生、2025年現在も混乱が続いていると思います、太平洋沿岸部の震災による津波、原発事故の混乱も大小現在でも続いています、自然災害の脅威は想像できませんが人間の前向きになる感情と言うのかな? 現在はそれも想像を超える力が有ると感じています。
伝えたい事が有るにも文章が下手なのでご了承ください。
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