東日本大震災を忘れない、伝えたい

おはようございます。


雲ひとつ無い朝を迎えました、天気が良いのは気分が良いのですが今日もスギ花粉が大量に飛散するんでしょうね~朝日の気分の良さ以上に花粉に悩まされていますよ・・今日は早々に薬を飲みます。


12年前に東日本大震災、合わせて津波による福島第一原子力発電所のメルトダウンを経験しました、津波、地震災害は時が経てば復興も進み新しい街並みが再生されますが、原子力発電所のメルトダウンは現在でも帰還困難区域が存在し12年前の事故発生から現在に至るまで様々な問題が現在も続いています・・・そして今後も続くと思います。


福島、近隣地域の方達を始め影響を受けた方達、日本人は東日本大震災被害と合わせて原発事故を何年経っても忘れないで欲しいと思うと同時に経験していない次世代にも伝えて行きたいですね。


東日本大震災が発生してから10日目にいわき市沿岸部を走り写真を撮りました、少しずつ瓦礫の撤去や行方不明者さんの本格的な捜索が始まって居た時期になります。


久ノ浜地区、町は壊滅状態で火災も発生しました、いわき市沿岸部の漁港や居住地はほぼ同じような状況でしたね。


久ノ浜地域、町から離れた海岸に打ち上げられた車です、津波の威力を改めて考えさせられますよ。


四倉道の駅パーキング辺り。


四倉道の駅は勿論全壊です。


四倉漁港に有る魚市場、引き波に引っ張られたトラック。


更に南下しています、新舞子。

ここから先は走行不能になって居ました。


夏になると海水浴客で賑わいの有る薄磯海岸、姿がしっかりしているビル、住宅も全壊状態でした。


薄磯海岸沿い、行方不明になって居た方が見つかった現場です。


同じく薄磯、瓦礫を撤去して道路を確保、警察、自衛隊の方達が不明者捜索と瓦礫の撤去が進められていました。


小名浜地区、大型漁船が陸に打ち上げられた景色は今も忘れません。


小名浜漁港。


小名浜旧魚市場近所。


更に南下した小名浜サンマリーナ、ヨットやレジャーボートが繋がれた桟橋は流されて無くなって居ました。ヨット、ボートが陸に打ち上げられた光景です。


打ち上げられたレジャーボート、ヨット。


仕事で関わりの有った小名浜オーシャンホテル下の崖が崩れて居ました、サンマリナーにて。


小浜漁港、小名浜漁港の漁船とは大きさが違いますが殆どの漁船が転覆していました。

行方不明者の捜索が始まって居ました、漁港内に潜水夫さんが多数潜って海中の捜査でしたね。


小浜漁港、潜水夫さんによる捜索作業が始まる所です。


岩間地区に入ります、高台から見た集落、殆ど壊滅状態です。


勿来共同火力近所の水路は流された車と瓦礫が詰まった状態でしたね。


集落と海岸を分けていた長い堤防は殆どが津波で壊されていました。

この後も南下して勿来方面に向かいたかったのですが諸事情により岩間地区、火力周辺の写真を撮って戻りました。


地震、津波被害の片付けが始まってきた時期になりますがこの後は福島第一原子力発電所の事故の影響、混乱が各地で更に広がっていく時期でもありました。


毎年同じ日に同じ様な写真を見て頂いて居ます、2008年から始まった写真日記ブログが続く限りこの日の写真は東日本大震災津波の傷跡としてブログアップが続きます。



PHOTO ASK & ブログ貝泊写真館日記

PHOTO ASK & Kaidomari PhotoStudio Diary 福島県いわき市の里山、貝泊地区に民家をお借りしました、貝泊写真館と名前を付けブログタイトルとしました。営業をしている訳では有りません、貝泊写真館は自分ひとりの癒しの場所(別荘)です。ブログは里山写真館の日常、渓流釣り、日々撮り溜めている日常の写真、イメージ写真、仕事で撮った写真を見て頂いています。

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