東日本大震災を忘れない

おはようございます、雲の見えない快晴ですが日付けが変わる頃から雨模様になる予報ですね。


能登半島沖地震の混乱は現在も続いています、改めて亡くなられた方、被害を受けた方、現在も避難されている方達にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

13年前、福島県、隣県を含めた広範囲な地震津波災害が起きました、合わせて福島県は原子力発電所のメルトダウンにて更なる大混乱が追い打ちを掛けました・・・その混乱が現在も尾を引いている状態です。


発電所が爆発を起こした翌日、自分は避難を考えていませんでしたが当時同居していた娘が泣きながら避難したいと言う事で東京大田区だったかな?蒲田駅前のビジネスホテルに避難しました。

でも家においていた愛犬小太郎と家が気になり4日後にひとりで戻りましたよ、勿論小太郎を残すために避難しない隣の方に餌と水を替えてくださいとお願いしていました。


自宅に戻って数日後に津波被害の大きかったいわき市の沿岸部を回って写真を撮りました、毎年3月11日を迎えると見て頂いています、災害被害の甚大さ、経験した教訓を忘れない為だと自分は思っています。


久ノ浜の海岸に打ち上げられていた車が強く記憶に残って居ます。


駅が警察、消防、自衛隊の拠点になって居ました。


久ノ浜町、メィン道路沿いは火災被害も発生しました。


四倉漁港で会った若者、かなりの数の横転した車や打ち上げられた漁船、瓦礫の中で見た笑顔が印象的でした。


薄磯地区、内陸の高台に残る家が有りましたが海沿いの家は殆ど有りません、瓦礫だけの状態が印象に残って居ます。


小名浜漁港、大きな漁船が打ち上げられていたのが印象的です。


小浜漁港では千葉県警だったかな・・・漁港内を潜水で不明者の捜索をしていました。


藤間海岸、津波で壊された堤防に残る階段が印象的でした。


車で沿岸部を回ったので通行止めで入れない場所が沢山ありましたが久ノ浜から勿来まで写真を撮りながら移動しました。


震災当日、内陸の石川町に有った結婚式場で前撮り撮影をしている最中でしたよ、地震後花嫁さんが怖がってしまい撮影は中断、津波映像も式場のテレビで見ていました。

夕方に地元湯本町の旅館古滝屋で集合撮影が有り落石の有るいわき石川線を戻り写真を撮った事が思い出されますね。

4月11日、東日本大震災が発生した1ヶ月後に同クラスの地震が有りました、貝泊写真館に泊まり近所の方と晩酌をする予定で準備をしている最中でしたよ、囲炉裏の火を落として田人町では道路が寸断されいわき石川線の湯本手前のがけ崩れ等で自宅に戻るまで2時間かかった事を覚えています。

PHOTO ASK & ブログ貝泊写真館日記

PHOTO ASK & Kaidomari PhotoStudio Diary 福島県いわき市の里山、貝泊地区に民家をお借りしました、貝泊写真館と名前を付けブログタイトルとしました。営業をしている訳では有りません、貝泊写真館は自分ひとりの癒しの場所(別荘)です。ブログは里山写真館の日常、渓流釣り、日々撮り溜めている日常の写真、イメージ写真、仕事で撮った写真を見て頂いています。

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