こんにちは、平成も残す所5日になりました。平成元年に始めた写真店から30年と数か月、店はデジタルカメラ復旧と共に閉店しましたが、カメラマンとして山あり谷あり今日まで続けて来ました。
何度も職を変えようと考えました、大型二種免許は持っているものの、なんの取り柄も無い自分に何が出来るんでしょう・・・そんな事を考えると職替えは出来ませんでしたよ。
若い頃から自分の遣りたい事をやる、会社務めは出来ないと決め付けていたんですよねぇ~。
会社勤めは出来なくても人に係わる事は嫌いじゃ無く、今までも沢山の方々と関り、助けられた事は間違いないです。でも、必要以外で人の集まる場所へ自ら向かう事は殆ど有りません、逆に人の居ない場所が好きなんです・・・そんな性格も有り、里山に有る貝泊写真館でひとり過ごす時間が好きなのかもです。
前置きが長くなりました、昨日は福島市で仕事でした。4時半から撮影と言う事で時間の余裕がたっぷり有ったので向かう前から福島市民家園に立ち寄ろうと決めていましたよ、写真を見てください。
本宮市から見た安達太良山で、雪が大分少なくなったように感じます。
福島市街地に入り、国道115号線で民家園に向かおうと思っていましたが、予定変更、岳温泉経由で115号線に向かい、民家園に立ち寄ってから市街地に入ろうと決めました。
福島市民家園に到着、園内を散策しました、園内見学者は殆ど居ません。 旧小野家、戦前まで県北地方で養蚕を営んでいたそうですよ。 手前の池際に有る小屋が ばったら と呼ばれた水力による精米機の役割をしていた小屋です。(市指定重要文化財)
園内順路で歩くと次が 旧広瀬座 です。伊達郡梁川町の広瀬川沿いに有った、当時唯一の大衆娯楽施設だったそうです。 全国的に見ても数棟しか現存していない芝居小屋で国指定重要文化財に指定されています。
元客自軒(もとかくじけん)旧紅葉館 です。幕末から明治初期にかけての県内有数の割烹旅館だったそうです。慶応4年(1868年)北南町の金沢屋に投宿していた奥羽征討軍の下参謀世良修蔵を仙台藩士が襲撃し金沢屋の北側に有った客自軒に引き立てその後、阿武隈川畔で斬殺した事件が東北の戊辰戦争拡大に繋がったと言われています。明治中期に所有者が変わり紅葉館になったそうです。
(市指定重要文化財)
旧筧家宿店 です、旧会津街道と米沢街道の分岐点に建っていました。二階座敷が宿泊に利用され、明治10年代から大正中頃まで旅人宿として営業していていましたが、道路の整備、線路の整備により営業をやめたそうです。写真の一階部は店として営業されていてタバコが置かれていました。
(市指定重要文化財)
屋敷神 で、屋敷の隅、特に鬼門に石、木材、藁屋根の祠が祭られたそうです。
旧奈良輪家 の入り口に藁で作られたなんだろう?と馬が有りました。福島市街の南郊に建てられた上層農民住居だそうです。(県指定重要文化財)
旧菅野家 の内部です。福島市松川町の西郊に建っていた普通農民の住居でした。
(県指定重要文化財)
福島市民家園 敷地110,000m²の園内には江戸時代中期から明治時代にかけての県北地方の民家を中心に梁川村(伊達市)の芝居小屋、福島市内商人宿、料亭、板倉、会津地方の民家等を移築復元し、庭や畑と共に当時の環境を再現しています。 (民家園パンフレットより)
季節ごとのイベントや体験学習なども行われているそうですよ。イベントが無くても散策するだけで十分見応えの有る施設だと思いました・・・入園無料です。 ブログ記事は2回に分けますのでまた見てくださいね。
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