東日本大震災を忘れない。

今日で東日本大震災発生から11年が経ちました、海沿いの整備は殆ど終わっていますが町の姿が大きく変わりましたよね。

合わせて福島県は原発事故も重なり2重の苦しみ、悲しみが地域によっては未だに続いています、時が経ち東日本大震災、原発事故を経験していない子供達も11歳を迎えています、後世に伝える事は教訓と共に大切だと思います。


東日本大震災発生から15日目に久ノ浜から勿来の火力発電所まで走りました、途中の沿岸部には入れない場所も数多くありましたが瓦礫の撤去や行方不明者捜索が連日続けられていた時期です、撮った写真の一部ですが見てください。


久ノ浜です。

町は火災も発生していました。


四ツ倉港です、砂浜に転がる車は久ノ浜で見かけました、転がった車と荒れた海が印象的に残っています。


薄磯です。

この日ご遺体が発見された現場と連日瓦礫の撤去作業を続けている自衛隊の方達です。


小名浜港です。

小名浜漁港では写真の横になった漁船の10倍くらいある大きな漁船が岸壁に打ち上げられていました。


サンマリーナです。

ヨットハーバーがすべて流されています、以前はサンマリーナの名称で海の行楽拠点になって居ましたが現在は小名浜港剣浜緑地と名称が変わってますね。


小浜漁港です。

応援に来ていた千葉県警だと記憶しています、沢山の警官達が漁港内に潜り行方不明者の捜索をしていました。



岩間地区、勿来火力発電所近辺です。

この場所は高い防波堤が有った場所ですが階段だけ残っていて壊れた防波堤部分のコンクリートが細かく砕かれていました。


3月11日、自分は中通り地方の結婚式場で前撮りをしていました、地震が発生した時は撮影中でしたが新婦さんが怯えてしまい撮影中断になった事を覚えています。

落石で通行止めになる前のいわき~石川線を戻り地元で予定されていた集合写真を撮った事を覚えています、ホテルの最上階で撮る集合写真でしたがエレベータが動かず階段で最上階に向かい、中止が出来ない状況の撮影だった事を覚えていますよ。


皆さんも大変な日々を過ごされた事と思います、そんな経験、思いを是非後世に伝えて頂きたいと願うばかりですね。


PHOTO ASK & ブログ貝泊写真館日記

PHOTO ASK & Kaidomari PhotoStudio Diary 福島県いわき市の里山、貝泊地区に民家をお借りしました、貝泊写真館と名前を付けブログタイトルとしました。営業をしている訳では有りません、貝泊写真館は自分ひとりの癒しの場所(別荘)です。ブログは里山写真館の日常、渓流釣り、日々撮り溜めている日常の写真、イメージ写真、仕事で撮った写真を見て頂いています。

0コメント

  • 1000 / 1000