こんにちは、朝は良く晴れていましたが、薄曇りが掛かってきたいわき市です。夕方、夜に掛けて天気が崩れそうですよ。
東日本大震災から明日で8年が過ぎようとしています。未だに発見されない方達、故郷を離れ長年避難生活をされている方達に追悼の気持ちとお見舞いを改めて申し上げます。
番組やニュースが引っ切り無しに流れています・・・自分のブログでも毎年追悼記事と当時を忘れない為に写真を掲載しています、震災から10日過ぎた沿岸部の写真と今朝撮って来た現在の姿を見てください。写真が多くなります。
当時、自分の行動は石川町で前撮り撮影中でした。揺れは大きかったもののガラスが割れるくらいで建物が壊れる事が有りませんでした。 しかし新婦さんが怖がってしまい撮影中止になりいわき市に戻りました。
2日後に娘と新潟に向かいガソリン、生活物資を手に入れて自宅に戻りましたが、原発事故発生で東京鎌田のビジネスホテルに避難し、4泊した後、娘を残して自分だけ自宅に戻りました。
10日目に久之浜から勿来(岩間)まで沿岸部を走り撮った写真が今回見て頂く写真です・・沿岸部の道路は所々で寸断されていた為に内陸に戻り、改めて沿岸部に向かう場所が沢山有った事を覚えています。
久之浜町は津波被害が甚大だったのですが、商店街は火災の被害も大きかった場所です。自宅の片付けや様子を見に来る方達の姿が見えましたが、原発事故の影響なのか?人が少ないと言うのが当時の感想です。
現在の久之浜町、瓦礫の中に残っていたお堂も立派になっていましたよ。かさ上げされた堤防にて撮った写真です。
四ツ倉に移動、道の駅回りと四ツ倉港の様子です。津波は国道を超えましたが、港程の甚大な被害は少なかったと聞きました。
現在は港と町が高い防潮堤で仕切られた感じになっています。左に止められている車を見ると防潮堤の高さが想像出来ると思います。
いわき七浜の中でも町が広範囲に甚大な被害を受けた薄磯地区です。 呆然と歩く女性が写真と共に記憶に残っています。 合わせて自衛隊、警察の方達が瓦礫の撤去、不明者の捜索を大規模に始めていた時期でもありました。
* 薄磯地区を豊間地区と書いてしまいました、訂正しました *
現在です。高台に移転した家屋と長い防潮堤が続きます。パーキングと道路が奇麗に整備されていました・・・久し振りに沿岸部を走りましたが、こんな形に整備された事を始めて知りましたよ。
小名浜です。震災当時に有っても比較的交通の便が良かったのか、瓦礫撤拠が一番進み始めていると当時の感想でした。大きな漁船や大型トラックなどが津波の強さを物語っていましたよ・・。
現在の小名浜港界隈です。以前の市場が無くなり、写真左側に新市場が整備され、大型商業施設がオープンしたりと七浜の中で一番生活スタイルが変わったんでしょうねぇ・・・。
サン・マリーナ、市内唯一のマリーナで季節に関係なく人が集まる場所でした。 自分も仕事、プライベートに関わらず足を運んだ場所でした。
現在です。釣り桟橋や夏は海水浴が再開されたみたいですが、中央に有ったサン・マリーナ管理棟は再建されないみたいですね。
小浜漁港です。 漁港内の潜水捜索をしていました・・・千葉県警の方達だったと思います。写真奥に住宅が見えますが、ほぼ全壊の住宅です。
現在です。 以前あった住宅地もかさ上げされています、合わせて道路を兼ねた高い防潮堤が漁港と住宅地を分けています。
最後に岩間地区です。決して低くなかった堤防が殆ど津波で壊されていました。海に降りる階段だけが残された光景に衝撃を受けた事を覚えています。
現在です。 小浜地区から岩間に向かう時の曲がりくねった道路も真っすぐに整備され、住宅地も整備されています。勿来共同火力も規模を広げる工事が進められています。
震災から8年が経ち復興が早いのか?遅いのか?は分かりませんが、確実に進んでいる事は確かだと思います。福島県は地震、津波、原発事故と三重の災害を被りました・・・原発事故に至っては未だ故郷に戻れない方達が沢山居ます・・・そんな東日本大震災、沿岸部の津波状況、原発事故状況を忘れず、教訓として後世に伝える事が大切だと今は思います。
当時写真を撮り歩いた7地区の全写真は PHOTO ASK ホームページ・東日本大震災を忘れないを見て頂ければと思います。
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